かつての嘉南平野は、雨が降れば洪水となり、照りつければ干ばつに襲われる塩害の地だった。農民たちは天を仰いで雨を待つしかない「看天田(天を仰ぐ田んぼ)」と呼ばれる過酷な環境に置かれていた。そこに現れたのが、当時まだ30代前半だった若き内務省技師、八田與一である。
八田が構想したのは、当時アジア最大、世界でも類を見ない規模のコンクリートダムと、総延長1万6000キロメートルに及ぶ給水路網の建設だった。これは地球を半周する長さに匹敵する。周囲からは「無謀な誇大妄想」と冷笑されたが、八田は諦めなかった。1920年に着工したこの国家的大事業は、10年の歳月と当時の国家予算に匹敵する巨費、そして多くの尊い犠牲を払って1930年に完成を迎えることになる。