ネット上のコミュニティやSNSでは、「この曲には桑田佳祐が個人的に手酷くフラれた実在の女子大生モデルが存在するのではないか」「特定の女性タレントを攻撃した曲なのではないか」といったゴシップ的な憶測が定期的に再燃します。
しかし、桑田佳祐自身の手記や過去のインタビュー記録、音楽評論家たちの取材データを精査すると、特定の個人を標的にした告発歌ではないことが明白です。当時、六本木、青山、原宿といったトレンドの発信地に溢れかえっていた「記号化されたファッションに身を包む無数の若者たち」の集合体こそが、この楽曲の真のモデルでした。
さらに見逃せないのは、桑田が描いたのは「あざ笑う側」の安全地帯からの批評ではないという事実です。芸能界という巨大な消費カルチャーのど真ん中でヒット曲を量産し、大衆に消費され続けるサザンオールスターズ自身もまた、この虚飾に満ちた社会の共犯者であるという痛烈な自己言及が含まれていました。だからこそ、歌詞の端々に漂うのは冷たい嘲笑ではなく、時代の奔流に呑み込まれていく者への哀歌(エレジー)としての響きなのです。