野田氏の政治キャリアを理解する上で欠かせないのが、波乱に満ちたその歩みです。1957年、千葉県船橋市で自衛官の家庭に生まれた野田氏は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、松下幸之助が設立した松下政経塾へ第1期生として入塾しました。金脈も地盤もない中、毎朝欠かさず駅頭に立つ「辻立ち」を続け、千葉県議会議員を経て1993年に日本新党から衆議院議員に初当選を果たします。
2009年の政権交代後、財務副大臣、財務大臣を歴任。そして鳩山由紀夫氏、菅直人氏の辞任を受け、2011年9月に第95代内閣総理大臣に就任しました。当時の野田内閣が直面していたのは、東日本大震災からの復興、福島第一原発事故の収束、そして歴史的な超円高という未曾有の国難でした。
消費税増税を決断した理由と「三党合意」の深層
野田政権の最大の実績であり、同時に最大の批判の的となったのが、自民党・公明党との間で結ばれた「社会保障と税の一体改革に関する三党合意」です。これにより、消費税率を5%から8%、さらには10%へと2段階で引き上げる法案が成立しました。
なぜ野田氏は、2009年衆院選のマニフェストに明記していなかった増税を断行したのか。当時の側近の手記や本人の回顧録によると、急速に進む少子高齢化に伴う社会保障費の爆発的増加と、日本の国債に対する国際的信用の失墜を食い止めるには「火中の栗を拾うほかない」という強烈な危機感がありました。しかしこの決断は、小沢一郎氏ら党内反主流派の大量離党を招き、民主党を決定的な分裂へと追いやることになります。
伝説の党首討論と「近いうち解散」の経緯
2012年11月14日、国家基本政策委員会合同審査会で行われた安倍晋三自民党総裁(当時)との党首討論は、平成政治史に残るハイライトとなりました。野田首相は定数削減などの改革への協力を迫った上で、「16日に解散をします。やりましょう!」と電撃的に表明したのです。
事前通告なしの解散宣言に、議場は騒然となりました。勝算が極めて低い状況での解散劇は、自民党への政権交代と民主党の歴史的大敗をもたらし、「民主党を壊滅させた張本人」という烙印を長年背負い続ける契機となりました。