2011年12月、匡子さんは肝不全のため48歳の若さでこの世を去った。国際スケート連盟(ISU)が主催するGPファイナル直前、真央は病状急変の報を受け、急遽カナダから帰国したものの、最期には間に合わなかった。この悲報は世界中のフィギュアスケートファンに深い悲しみを与えた。
姉の浅田舞も後にメディアで、母がいかに厳しく、そして温かく自分たちを守り続けてくれたかを語っている。時には衝突しながらも、母の絶対的な愛があったからこそ、厳しい勝負の世界で生き抜くことができた。日本スケート連盟のスタッフも、どんな時もリンクの脇で温かいまなざしを注いでいた匡子さんの姿を強く記憶している。