香淳皇后の知られざる生涯と美智子さまとの真相!昭和を支えた国母の素顔

香淳皇后の知られざる生涯と美智子さまとの真相!昭和を支えた国母の素顔

香淳皇后の知られざる生涯と美智子さまとの真相!昭和を支えた国母の素顔の全体像を詳しく解説してご紹介します。

香淳皇后は1903年(明治36年)3月6日、久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)と俔子(ちかこ)妃の第1女子として誕生しました。お印は「桃」、幼名は「良子(ながこ)女王」です。母方の祖父は最後の薩摩藩主である島津忠義であり、皇族と旧薩摩藩主家の血を引く名門の出身でした。

1918年(大正7年)、14歳のときに皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補に内定します。学習院女学部を中退し、私邸に設けられた学問所で「皇太子妃」としての特別教育を受けることとなりました。しかし、その婚約発表の直後に、近代皇室史上最大の政治的波乱とされる「宮中某重大事件」が勃発します。

当時、政界・軍部に絶大な影響力を持っていた元老・山県有朋が、良子女王の母系(島津家)に色盲(先天性色覚異常)の遺伝があることを問題視し、皇統の純潔を理由に婚約辞退を迫ったのです。久邇宮家側は「勅許を得た婚約を一方的に破棄することは受け入れられない」と猛反発し、宮中および政界を二分する激しい暗闘へと発展しました。

一時は父親の邦彦王が「辞退を強要されるならば良子を刺し殺して自決する」とまで口にするほど緊迫しましたが、最終的に裕仁親王自身の強い意志と、貞明皇后の意向、そして世論の反発によって山県側の主張は退けられました。1921年(大正10年)2月、宮内省より「良子女王殿下御婚儀に変更なし」との公式発表がなされ、1924年(大正13年)1月26日に晴れてご成婚を迎えました。

林 結菜
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林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。