世間一般には「フォークボールで打者を打ち取る技巧派」というパブリックイメージが根強く残っていますが、当時の実態は大きく異なります。杉下茂の真骨頂は、打者をねじ伏せる圧倒的なスピードボールにありました。
スピードガンが存在しなかった昭和20年代後半から30年代前半、杉下のストレートは現在の球速換算で150キロ台中盤から後半に達していたと推測されています。同時代にグラウンドに立った審判員や捕手たちの証言によると、ホップするような伸びのある直球は当時のプロ野球界でも指折りであり、金田正一や沢村栄治と並び称される球威を誇っていました。
その実力が遺憾なく発揮されたのが、球史に語り継がれる1954年(昭和29年)のシーズンです。中日ドラゴンズのエースとしてフル回転した杉下は、以下の驚愕すべき記録を叩き出しました。
- シーズン成績:32勝12敗、防御率1.39、273奪三振
- 投手三冠(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振)を獲得
- 通算3度目となる沢村賞を受賞
- 日本シリーズ(対西鉄ライオンズ戦):7試合中4試合に登板し3勝1敗、防御率1.26でチームを球団史上初の日本一へ導き、シリーズMVPを獲得
過酷な登板過多が当たり前だった時代とはいえ、強打を誇った西鉄の黄金期打線(中西太、大下弘、豊田泰光ら)を力で抑え込んだ投球内容は、まさに球界のエースにふさわしい圧巻のパフォーマンスでした。