日本の近代産業史において、旧三井物産の設立は決定的な転換点だった。その中心にいたのが、創業者の益田孝である。幕末に遣欧使節団の一員として世界を目撃した益田は、「日本の独立を保つには貿易の振興が不可欠」という強い危機感を抱いていた。
1876年に創設された同社は、単なる口銭稼ぎの中小バイヤーではなかった。米穀や石炭の輸出からスタートし、徐々に綿花や鉄鋼へと取扱品目を拡大。世界各地に自前の支店網を張り巡らせるビジネスモデルは、のちの総合商社という日本独自の業態を生み出す基盤となった。日本の企業経営史を語る上で、益田が築いた「人の三井」の精神とグローバル志向は、今なお色あせない先見性を放っている。