メディアで繰り返し報じられる山口組の分裂理由について、その根本には弘道会を中心とする「名古屋方式」の組織運営に対する反発がありました。2005年に六代目体制が発足して以降、組織の要職を弘道会系が独占し、直参組長らに課される毎月の上納金(会費)や物品購入の負担が過度に重くなったことが、関西発祥の古参組織(山健組や宅見組など)の強烈な不満を買ったとされています。
2015年8月、この不満が爆発する形で井上組長らが離脱し、神戸山口組を旗揚げしました。これが10年以上に及ぶ泥沼の抗争の始まりです。山口組の抗争の真相を振り返ると、白昼の市街地での銃撃戦、車両の突入、幹部宅への襲撃など、全国で数百件に及ぶ対立事件が発生し、一般市民を巻き込む危険性が深刻な社会問題となりました。
しかし、時間の経過とともに対立の実態は「互角の抗争」から「本家側による一方的な封じ込めと各個撃破」へと変貌を遂げ、かつての大義を掲げた分裂劇は、結果として神戸側の自滅に近い形で勝敗が事実上決することとなりました。