1999年のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団した條辺剛氏は、最速150km/hを超える豪速球を武器に、高卒2年目からリリーフ陣の柱として頭角を現しました。2001年には46試合に登板し、長嶋茂雄監督(当時)のもとでリーグ優勝や日本一に大きく貢献。ファンに強烈なインパクトを残しました。
しかし、連投による勤続疲労は右肩と右肘を容赦なく蝕みます。度重なる手術と過酷なリハビリを重ねたものの本来の剛球は戻らず、2005年、わずか24歳の若さで戦力外通告を受け、現役生活にピリオドを打つこととなりました。
球団職員への転身など複数の選択肢がある中、條辺氏が選んだのは「飲食の世界で一から自分の腕を磨く」という極めて険しい道でした。徳島県出身で幼い頃から讃岐うどんが身近にあったこと、そして妻の実家がある埼玉で本格的な手打ちうどんを提供したいという強い情熱が、第二の人生の羅針盤となったのです。「元プロ野球選手という肩書きに頼らず、味だけで勝負できる本物の職人になりたい」――その退路を断った決意が、職人・條辺剛の原点となりました。