70年代後半から80年代初頭にかけて世界を席巻したニュー・ウェイヴの潮流。これを最も早く、かつ独自の解釈で日本のメインストリームへと持ち込んだのが彼だった。ジューシィ・フルーツのプロデュースや自らのバンド活動を通じ、無機質なシンセサイザーのビートに日本語の滑稽さや哀愁を掛け合わせる手法を確立。当時の音楽業界に巨大な地殻変動を引き起こした。
既存のジャンル概念をあざ笑うかのような実験的精神。テクノポップやパンクの熱量を吸収しながらも、決してマニアックな蛸壺に籠もることはなかった。常に「ポップであること」にこだわり抜いた姿勢が、後のJ-POPの基盤を密かに作っていたと言える。