東京帝国大学を卒業後、台湾総督府に奉職した八田は、単なる技術者の枠を超えた人間主義の指導者であった。当時の土木インフラ産業においては、過酷な現場労働と人命軽視が常態化していたが、八田は現場で働く作業員の生活環境を最優先に考えた。烏山頭ダムの建設現場には、職員とその家族が暮らすための病院、学校、娯楽施設を備えた一つの街が形成されたほどである。
世界恐慌の波が押し寄せ、事業費削減のために人員整理を迫られた際、八田が下した決断は伝説として語り継がれている。彼は優秀な中堅技術者から優先的に解雇通知を出した。「優秀な男なら他でもすぐに仕事が見つかる。だが、現場の作業員を今切れば家族が路頭に迷う」という信念からだった。人を想い、現場を愛した彼の設計思想は、現代の土木インフラ産業におけるESG経営や人本主義の原点として、今なお語り継がれている。