日本のウイスキーの父・竹鶴政孝の波乱万丈な生涯とニッカ創業の真実

日本のウイスキーの父・竹鶴政孝の波乱万丈な生涯とニッカ創業の真実

日本のウイスキーの父・竹鶴政孝の波乱万丈な生涯とニッカ創業の真実にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。

竹鶴政孝の85年にわたる波乱の歩みは、日本の近代ウイスキーの発展そのものです。彼の足跡を生涯年表で振り返ります。

年代主な出来事・経歴1894年(明治27年)広島県竹原町に生まれる。1918年(大正7年)単身スコットランドへ留学。グラスゴー大学で学び、蒸溜所で修行。1920年(大正9年)リタと結婚し帰国。「竹鶴ノート」を持ち帰る。1923年(大正12年)寿屋に入社し、山崎蒸溜所の初代所長に就任。1934年(昭和9年)大日本果汁株式会社を設立。余市蒸溜所の建設を開始。1940年(昭和15年)第1号ウイスキー「ニッケウヰスキー」を発売。1961年(昭和36年)最愛の妻・リタが逝去(享年63)。1969年(昭和44年)第二の蒸溜所となる宮城峡蒸溜所を開設。1979年(昭和54年)85歳で逝去。死因は心不全。余市のリタの墓の隣に埋葬される。

生涯にわたり品質を追求し続けた政孝は、数多くの重みある名言を残しています。

「ウイスキー造りにトリックはない。ただ自然の恵みと、時間を信じることだ」
小細工や宣伝に頼るのではなく、品質そのもので勝負するという彼の職人魂が凝縮された言葉です。また、経営難に直面した際にも「品質第一。真面目にやっていれば必ず消費者は分かってくれる」と語り、決して原酒の質を落とすことを許しませんでした。

実子に恵まれなかった政孝とリタは、政孝の甥にあたる竹鶴威(たけつる たけし)を養子に迎えました。威もまた優れたブレンダーとして育ち、ニッカウヰスキーの社長を務め、父の魂と技術を次世代へと忠実に継承しました。

中川 明日香
Author

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。