昨今のエンターテインメント界では、劇場公演のオンライン生配信や見逃しアーカイブ配信が標準的なビジネスモデルとして定着しました。しかし、「山里亮太の140」において動画配信が行われることは原則として一切ありません。これほど高い需要がありながら、なぜ頑なに配信を拒み続けるのでしょうか。
その最大の理由は、配信カメラが入った瞬間に「140」の根幹である剥き出しのトークが成立しなくなるからです。どれほどセキュアな配信システムを敷いたとしても、画面の録画やキャプチャ、SNSへの意図しない拡散リスクを完全に排除することはできません。カメラの存在を意識した瞬間に、トークにわずかでもブレーキや自主規制がかかってしまえば、それはもはや「140」ではなくなってしまいます。
「この場にいる人間だけで、危ない話を笑い合う」という生々しい緊張感と解放感は、物理的に同じ空間の空気を吸っているからこそ成立するものです。リスクを恐れずに本音をぶつけ合う劇場空間の価値を何よりも大切にしているからこそ、配信に頼らない孤高のライブスタイルが保たれています。