佐賀商業高校から社会人野球の強豪・プリンスホテルへと進んだ中島輝士氏は、俊足強打の大型外野手・内野手として早くからスカウトの熱視線を集めていました。その名を世界に知らしめたのが1988年ソウル五輪です。野茂英雄氏や古田敦也氏ら錚々たるメンバーが揃った日本代表において不動の4番打者を務め、銀メダル獲得に大きく貢献。その圧倒的な実績を引っ提げ、同年のドラフト会議で日本ハムファイターズからドラフト1位指名を受けて入団を果たしました。
そして迎えた1989年4月8日、福岡ダイエーホークスとの開幕戦。同点で迎えた9回裏、代打として登場した中島氏は、相手投手・山内孝徳投手の投じた初球を完璧に捉え、レフトスタンドへ飛び込む劇的なサヨナラ本塁打を放ちました。「プロ初打席初球サヨナラ本塁打」という日本プロ野球史上初の大偉業は、新時代のスーパースター誕生を強烈に印象付けるプロ野球史のハイライトとなりました。
ルーキーイヤーから勝負強い打撃を見せつけ、長打力と勝負勘を兼ね備えた中軸打者として東京ドームを沸かせた軌跡は、当時のパ・リーグの熱気を象徴するエピソードとして今も語り草となっています。