松下幸之助とはどんな人か?壮絶な生い立ちと経営の神様の素顔に迫る

松下幸之助とはどんな人か?壮絶な生い立ちと経営の神様の素顔に迫る

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松下幸之助という人物を理解する上で避けて通れないのが、壮絶を極めた幼少期の生い立ちです。1894年(明治27年)、和歌山県の比較的裕福な農家に生まれた幸之助でしたが、父が米相場に失敗して破産したことで生活は一変。一家は離散状態に陥り、幸之助はわずか9歳(尋常小学校4年)で学業を断念し、単身で大阪の火鉢店へ丁稚奉公(でっちぼうこう)に出されることになりました。

当時の大阪・船場での丁稚奉公は過酷そのものでした。冬場に冷水で雑巾がけを行い、夜は薄い布団の中で母を思い出して涙を流す日々。その後、自転車店へ奉公先を移した幸之助は、店主の使い走りをしながら商売の基本や顧客との信頼関係を肌で学び取っていきます。さらに、両親や7人の兄弟姉妹が次々と病気で他界し、20代前半にして肉親をすべて失うという深い孤独と悲哀を経験しました。

転機が訪れたのは16歳の時です。街を走り始めた路面電車を見て「これからは電気の時代が来る」と直感した幸之助は、大阪電灯(現・関西電力)に見習い工として入社。卓越した工夫と熱心な働きぶりで最年少の検査員に昇進しますが、自ら考案した「改良ソケット」が上司に受け入れられなかったことを機に、1917年に22歳で退職を決意します。

手元の資金はわずか97円(現在の貨幣価値で数十万円程度)。妻のむめの、義弟の井植歳男(のちの三洋電機創業者)らと共に、大阪市内の借家で始めた小さな町工場こそが、のちのパナソニックの出発点でした。学歴もコネも資金もないどん底から、日々の創意工夫と不屈の執念によって道を切り拓いていったのです。

吉田 誠
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吉田 誠

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