亀山社中を語る上で避けられないのが、龍馬の死だ。慶応3年11月15日(1867年12月10日)、龍馬は京都の近江屋で中岡慎太郎とともに襲撃され、命を落とした。この近江屋事件の後、海援隊は求心力を失い、長岡謙吉らが後を継いだものの組織は急速に縮小した。もし龍馬が生存していれば、海援隊はさらに本格的な貿易会社へ発展した可能性が高い。
ネット上では「亀山社中は日本初の株式会社だった」という記述も見かけるが、これは誤りだ。亀山社中も海援隊も、現代の株式会社のような出資・配当・株主総会の仕組みを持っていなかった。当時の日本に株式会社制度が導入されるのは、明治以降の国立銀行や鉄道会社を待たねばならない。亀山社中を「会社」と表現するのは比喩であり、法的実体とは異なる。