1886年10月24日深夜、横浜港から神戸港を経て長崎へ向かっていたイギリスの貨客船「ノルマントン号」(240トン)が、和歌山県串本沖の潮岬付近で猛烈な暴風雨に遭い、座礁・沈没しました。船内にはイギリス人船長のジョン・ウィリアム・ドレイクをはじめとする外国人乗組員と、一般の日本人乗客25名が乗船していました。
船が浸水を始めてから沈没するまでの猶予は約1時間あったと記録されています。しかし、船長ら乗組員が救命ボートを下ろして脱出する一方で、日本人乗客には救命具の装着やボートへの誘導など、命を救うための適切な措置が一切取られませんでした。その結果、ドレイク船長を含む外国人乗組員26名は全員が生還したのに対し、日本人乗客25名は全員が溺死するという痛ましい惨劇が起きたのです。
沿岸の和歌山県大島村(現・串本町)の住民たちは、漂着した外国人船員を手厚く介抱し、焚き火で暖め、食事を提供しました。しかし、生還した船員たちから「日本人は誰一人乗っていなかった」という虚偽の証言がなされたことで、現場の不信感は決定的なものとなります。数日後、海中から日本人乗客の遺体が次々と打ち上げられ、凄惨な見殺しの実態が白日の下にさらされました。