「自分の意見を主張したら、周囲から自己中心的な人間だと思われないだろうか」という恐怖は、真面目で責任感の強い人ほど強く抱える悩みです。ここで明確に線引きしておきたいのが、わがままとの決定的な違いです。両者は表面上どちらも「自分の希望を通す行動」に見えますが、その根底にある心理的ベクトルと他者へのスタンスは180度異なります。
心理カウンセラーの浅野寿和氏は、自身の公式メディアにおいて「自分を大切にするとは、自分の心と体の反応を無視せず、その人なりに誠実な選択を重ねていくこと」と定義しています。また、専門メディア『心理カウンセラーの種』が公開している12問の診断チェック基準でも、自分を大切にする行為とは「自分の心と身体の健康を保つように、自分で自分を守ること」であり、体調不良時に無理せず早退したり、キャパシティを超える依頼を断ったりする自己防衛のスキルとして位置づけられています。
一方で「わがまま」とは、自分の欲求を満たすために他人の領域に土足で踏み込み、相手を思い通りにコントロールしようとする行為を指します。自分が断る権利を行使するのと同時に、相手にも断る権利があることを尊重できていれば、それは決してわがままにはなりません。
では、なぜ頭では理解していても、他人に合わせすぎて疲れてしまうのでしょうか。その自己犠牲をやめられない心理的背景には、心理学の「交流分析(Transactional Analysis)」で解説される幼少期の無意識のルール(禁止令・ドライバー)が深く関わっています。
私たちは子どもの頃、親や養育者との関わりの中で「いい子にしていれば愛される」「親の期待に応えなければ見捨てられる」という生存戦略を身につけます。いわゆる日本の家庭問題として議論される「毒親(ドクオヤ)問題」や「母娘の共依存関係」の環境下で育った場合、親の機嫌を損ねないことが最優先課題となり、自分の感情を感じるセンサーそのものを麻痺させてしまうのです。その結果、大人になってからも「自分が我慢すれば丸く収まる」という自動思考が作動し、慢性的な疲弊へと追い込まれていきます。