第二東亜会館を調べるにあたり、ネット上で頻繁に発生しているのが「歴史的事実の混同」です。ここではアーカイブ記録と登記情報に基づき、3つの決定的な誤解を解消します。
誤解1:「第一東亜会館」と「第二東亜会館」は何が違うのか?
「第一東亜会館と第二東亜会館の違い」について、両者を同一視している記述が多く見られますが、これらは東亜興行株式会社が歌舞伎町に建設した別棟の大型レジャービルです。
興行主である東亜興行は、歌舞伎町の一角に映画館、ゲームセンター、ボウリング場、サウナ、飲食店などを次々と整備し、一大歓楽街を作り上げました。第一東亜会館は映画館などの総合興行施設としての色彩が強かったのに対し、第二東亜会館はディスコをはじめとする若者向けナイトレジャーの拠点として特化していったという機能的な差異があります。
誤解2:「ニューヨーク・ニューヨーク(NY-NY)」は第二東亜会館にあった?
検索クエリでも結びつけられがちな「第二東亜会館 ニューヨークニューヨーク」ですが、厳密にはニューヨーク・ニューヨーク(New York-New York)は第二東亜会館の中にはありませんでした。
ニューヨーク・ニューヨークは、同じ歌舞伎町のシネシティ広場を挟んだ向かい側、王城ビルなどに位置していた別のメガディスコです。80年代初頭から中盤にかけて、東亜会館のディスコ群とニューヨーク・ニューヨークは、互いに客を奪い合い、時にハシゴして行き来する最大のライバル関係にありました。両者がほぼ同時期に同じ広場を挟んで隆盛を極めたため、後年の回想において「東亜会館の中にあった」と記憶がブレンドされてしまったのが混同の真相です。