中国三国時代の史家・陳寿が著した『魏志倭人伝』。その行程記述は、長年学界を悩ませてきた最大の謎だ。帯方郡から邪馬台国に至る「水行十日陸行一月」や「水行二十日」という記述をどう解釈するかによって、都の位置は大きく二分される。
九州説の大きな強みは、魏代の「短里」(1里=約75〜90メートル)を適用した場合、行程の記述と九州北部の地理が見事なまでに一致する点にある。朝鮮半島から海を渡り、末盧国、伊都国、奴国へと至るルートは完璧な整合性を見せる。一方の畿内説は「南」という方角記述を「東」の誤記とみなす文献批判に依拠することが多い。史料の記述を無理に書き換えることなく直訳を重視する立場からは、九州説こそが最も自然な解釈であると主張され続けている。