宝剣の完全喪失に直面した朝廷は、前代未聞の危機に陥りました。安徳天皇の異母弟である後鳥羽天皇は、神器が揃わない異例の状態で即位を余儀なくされ、このコンプレックスが後の承久の乱の遠因になったとも言われています。
ここで理解しておくべき重要な歴史的事実が、神器における「本体(御神体)」と「形代(かたしろ)」の存在です。
古代の崇神天皇の時代、神器の持つあまりに強大な神威を恐れた朝廷は、本体を宮中から別の聖地へ遷し、宮中にはその御霊を分霊したレプリカ(形代)を置くこととしました。つまり、壇ノ浦で沈んだ草薙剣は宮中に祀られていた「形代」であり、神話の時代から続く「草薙剣の御神体(本体)」は愛知県の熱田神宮に安置されたまま無事だったのです。
その後、朝廷は伊勢神宮から献上された神剣(順徳天皇の時代に定着)を新たな宮中の形代として正式に認定し、儀礼を再構築することで皇位継承の正当性を保ちました。