私たちが抱く「若き天才剣士・小次郎」というビジュアルは、吉川英治の小説『宮本武蔵』や大衆演劇によって強固に形作られたフィクションの色合いが濃厚です。実際の史料を年代順に照らし合わせると、「決闘時の小次郎は60代〜70代の老境に達していた」という説が極めて説得力を持って浮かび上がります。
その最大の根拠は師匠とされる富田勢源の生没年です。勢源は1580年代前半には没したとされており、仮に小次郎が勢源から直接手ほどきを受けていたとすれば、決闘が行われた慶長17年(1612年)の時点で、どんなに若く見積もっても60歳を超えていた計算になります。当時20代後半から30歳前後だった武蔵とは、親子ほども年が離れていたことになります。
近年では「勢源の弟子・神子上典膳(のちの小野忠明)と同世代、あるいは勢源の弟の弟子だった」とする調整案も議論されていますが、いずれにせよ武蔵より年長の実力者であったことは間違いなく、「老練な大家に挑んだ若き武蔵」という構図こそが決闘の真実に近い姿です。