実際の能の舞台において、般若面は物語のクライマックスで圧倒的な存在感を放つ。代表作『葵上』では、光源氏の愛を失った六条御息所の怨霊が、静かな妄執から激しい鬼へと変化する過酷なドラマが展開される。
演者は前場(前半)では前兆となる感情を舞で表現し、後場(後半)で般若面を装着して登場する。その登場の瞬間、観客は面の色や形状の「段階」を通じて、彼女の心が取り返しのつかない領域へ足を踏み入れたことを直感する。山伏の祈祷と怨霊の格闘が繰り広げられる中、面が見せる一瞬の「悲しげな揺らぎ」は、完全に鬼になりきれない人間の残滓を感じさせ、観客の胸を強く打つ。