検察組織の頂点に手をかけながら突如として失脚した黒川氏ですが、そのキャリアは検察史屈指の政策派エリートそのものでした。1957年生まれ、東京大学法学部を卒業後、1983年に検事任官(35期)。同期には法曹界で重きをなす有力者が揃う中、黒川氏は卓越した調整能力で頭角を現します。
現場で捜査の指揮を執る「捜査派」というよりも、法務省の中枢で法案改正や国会対応を担う「赤レンガ派(行政派)」としてキャリアを積み重ねました。法務省官房総務課長、大臣官房長、そして法務事務次官と中枢ポストを歴任。政界関係者や官邸官僚との太いパイプを築き上げ、法案成立や人事調整において抜群の手腕を発揮したことから、いつしか永田町周辺では「官邸の守護神」「法務省の金庫番」などの異名で呼ばれるようになりました。
2019年1月には、検事総長への登竜門とされる東京高等検察庁検事長に就任。次期検事総長への就任は既定路線と目されていました。