デヴィ夫人の若い頃と美貌の軌跡|東洋の真珠と呼ばれた激動半生

デヴィ夫人の若い頃と美貌の軌跡|東洋の真珠と呼ばれた激動半生

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華やかなセレブとしてのイメージが先行するデヴィ夫人ですが、その生い立ちは決して恵まれたものではありませんでした。東京・麻布で大工の父のもとに生まれ、太平洋戦争末期の東京大空襲を経験。戦後の極貧生活の中で父を亡くし、病弱な母と弟の学費を稼ぐため、中学校卒業後は千代田生命保険に勤務しながら定時制高校に通い、夜は喫茶店などで働く過酷な日々を送っていました。

やがて語学力と知性を買われ、当時政財界の重鎮や外国人要人が集う伝説のナイトクラブ「コパカバーナ」(東京・赤坂)で働くことになります。一部の週刊誌等で「高級クラブのホステス」とセンセーショナルに書き立てられた過去の噂について、当時の関係者や本人の手記によれば、一般的な水商売とは一線を画す「海外要人をもてなすバイリンガルなエリートコンパニオン」としての立場であったと証言されています。

そして1959年6月、国賓として来日していたインドネシアの初代大統領スカルノ氏と帝国ホテルのバーで運命の出会いを果たします。当時19歳だった七保子さんの知性と息をのむ美貌に一目惚れした大統領から熱烈な求婚を受け、同年9月に単身ジャカルタへ渡航。1962年には正式に婚姻を結び、「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(宝石の聖なる女神)」の名を授かり、インドネシア大統領第3夫人としての道を歩み始めました。

松本 悠斗
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松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。