原則として「与党総裁=首相」という構図が一般的ですが、日本の憲政史上、総裁と首相が別人だった例外事例も存在します。これらの歴史を振り返ると、兼任しない場合に生じる政治的な歪みや力関係が如実に浮かび上がります。
代表的な事例が1993年の細川連立政権と1994年の村山連立政権です。
1993年、自民党は衆院選で過半数を割り込み、結党以来初めて下野しました。このときの自民党総裁は河野洋平氏でしたが、非自民・非共産連立政権が誕生したため、日本新党代表の細川護熙氏が首相に就任しました。これは「野党第1党の党首が自民党総裁」という状態です。
さらに顕著な例が1994年の自社さ連立政権です。政権奪還を目指す自民党は、社会党委員長の村山富市氏を首班指名選挙で擁立し、首相に押し上げました。このとき自民党総裁は河野洋平氏のままでしたが、首相は村山富市氏というねじれ現象が発生しました。河野氏は副総理兼外相として内閣に入りましたが、「数で勝る自民党総裁」と「首班である社会党首相」の間で政策調整が難航し、常に綱引きが続きました。
これらの事例からもわかる通り、議院内閣制において「議席の多数派リーダー(総裁)」と「行政府の長(首相)」が分離すると、意思決定のスピードが著しく低下します。だからこそ、平時においては総裁と首相の兼任が強く求められるのです。