「武蔵の国」の正式な読み方は「むさしのくに」であり、歴史的仮名遣いや旧字体では「武藏國」と表記されます。この「ムサシ」という地名の起源には諸説ありますが、古代日本の成立過程を示す貴重な記録が残されています。
『先代旧事本紀』の「国造本紀」などの史料によると、武蔵国が一本化される以前のヤマト王権期には、この地域に複数の小国家(国造)が存在していました。代表的なものが以下の3つです。
- 知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ):現在の秩父盆地を中心とする山間・鉱物資源地帯を支配。
- 无邪志国造(むざしのくにのみやつこ):現在の大宮台地から荒川流域、東京東部を支配。
- 胸刺国造(むなさしのくにのみやつこ):東京湾沿岸部から多摩川流域、横浜・川崎一帯を支配。
地名語源説としては、葦が群生する湿地帯を意味する「身狭(むさ)」に由来するという説や、秩父の山側(根)に対して沖合・低地を指す「むさし(前刺し・胸刺し)」から転じたという説が有力視されています。大化の改新(645年)以降の律令制導入に伴い、これら複数の勢力圏が再編・統合され、漢字二文字の好字令(713年)によって「武蔵」の表記が定着しました。
また、武蔵国は当初、信濃や上野(群馬)を経由する「東山道」に属していました。しかし、宝亀2年(771年)に官道ルートの再編が行われ、相模から下総・常陸へと抜ける「東海道」へと移管されます。この所属ルートの変更こそが、武蔵国が太平洋側の交通・物流幹線へと組み込まれ、後世の発展を決定づける歴史的転換点となりました。