中垣内祐一氏のキャリアを振り返る上で、1990年代の選手時代の輝きは色褪せることがありません。福井県立藤島高校から名門・筑波大学へ進学した中垣内氏は、大学在学中の1989年に日本代表へ初選出。彗星のごとく現れた長身サウスポーならぬ右利きのオポジット(当時はライト)として、一躍脚光を浴びました。
大学卒業後は実業団の強豪・新日本製鐵に入社。最高到達点345センチを超える驚異的な跳躍力と、滞空時間の長いしなやかなスパイクフォーム、そして強烈なバックアタックを武器に、日本リーグで新人賞、最高殊勲選手賞(MVP)などを総なめにしました。
1992年のバルセロナオリンピックではエースとしてチームを牽引し、6位入賞に大きく貢献。甘いマスクとダイナミックなプレースタイルで、女性ファンを中心に社会現象とも言える大ブームを巻き起こしました。まさに日本のバレーボール界における元祖スーパースターであり、その圧倒的な存在感は現在の石川選手や高橋選手のパイオニアと言えます。