溥儀ラストエンペラーの真実|紫禁城追放から劇的晩年と映画の虚実

溥儀ラストエンペラーの真実|紫禁城追放から劇的晩年と映画の虚実

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愛新覚羅溥儀の波乱に満ちた生涯を理解するうえで欠かせないのが、彼が直面した東アジアの激変です。1908年、西太后の指名によって第12代宣統帝として即位した溥儀でしたが、わずか3年後の1911年に発生した辛亥革命により、1912年2月にわずか6歳で退位を余儀なくされ、260年以上続いた清朝は滅亡を迎えました。

退位後も「清室優待条件」によって紫禁城(故宮)での居住と皇帝の称号維持が認められ、宦官たちに囲まれた閉ざされた小宇宙で君臨し続けました。しかし、1924年10月の北京政変(軍閥・馮玉祥によるクーデター)によって優待条件は突如破棄され、溥儀一族は紫禁城から即日追放される事態に陥ります。この「住み慣れた宮殿からの追放」という屈辱が、彼の心に強烈な復辟(皇位復帰)への執念を植え付ける決定打となりました。

紫禁城を追われた溥儀は、北京の日本公使館を経て天津の日本租界(張園・静園)へ身を寄せます。そこで急接近したのが関東軍でした。清朝再興の夢を叶えたい溥儀の野心と、中国東北部に親日政権を樹立したい日本側の利害が一致し、1932年に満洲国執政、1934年には満洲国皇帝(康徳帝)へと即位します。しかし実態は、関東軍の意向に従うだけの完全な「傀儡(かいらい)」であり、溥儀の署名なしには法令一つ出せない形式的な権力者に過ぎませんでした。

中島 亮太
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中島 亮太

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