ヒットチャートを駆け抜け、時代の寵児となったトワ・エ・モワでしたが、活動期間わずか4年半あまりの1973年6月に突如として解散を発表します。当時の熱狂の裏で、二人は過密なスケジュールと商業主義的な興行サイクルに摩耗していました。
当時の手記やインタビューで語られたところによると、白鳥英美子氏は自身の目指す音楽的ルーツへの回帰を望み、芥川澄夫氏もまたプロデューサーや裏方としてのクリエイティブ活動に関心を寄せていました。「お互いの音楽性を尊重し、最高潮の段階で幕を引く」という決断は、当時としては極めて潔く先進的な選択でした。
解散後、白鳥英美子氏はソロシンガーとして独立。澄んだハイトーンを生かして映画音楽やCMソング、トラディショナル・フォークの分野で確固たる地位を築きました。一方の芥川澄夫氏も音楽ディレクターとして数々のアーティストを手掛けます。
転機が訪れたのは解散から四半世紀が経過した1997年でした。翌年に控えた1998年長野冬季オリンピックに向けて、1972年札幌五輪の象徴歌『虹と雪のバラード』を歌った二人の復活を望む声が全国規模で高まったのです。NHKの特番を機に25年ぶりのステージに立った二人は、ブランクを微塵も感じさせない完璧なコーラスを披露し、本格的な再結成を果たしました。