1945年の太平洋戦争敗戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のマッカーサーは、日本経済の構造改革として「財閥解体」を最優先課題に掲げました。GHQが財閥を徹底的に解体しようとした理由は、一握りの独占資本が国家の富を牛耳り、軍部と結託して戦争遂行を資金・物資両面で支えた「軍国主義の温床」であると断定したためです。
GHQは持株会社の株式を強制的に没収・公開し、財閥家族の資産を凍結した上で「過度経済力集中排除法」を適用。これにより、三井物産や三菱重工業などの巨大企業は数百社規模に細かく分割されました。この際、四大財閥だけでなく、日本経済を支えていた中堅・新興グループを含む「15大財閥」が解体指定を受けました。
【GHQ解体指定・15大財閥一覧】
四大財閥(三菱・三井・住友・安田)のほか、日産(鮎川財閥)、浅野財閥、古河財閥、大倉財閥、中島飛行機(中島財閥)、野村財閥、川崎財閥、理研グループ、日窒コンツェルン、森コンツェルン、日曹コンツェルンが名を連ねました。
米国の真の狙いは、日本の独占的資本力を根こそぎ解体し、二度とアメリカに刃向かう軍事大国・経済大国へと復活させないことにありました。しかし、1940年代後半に東西冷戦が激化すると米国の対日政策は「弱体化」から「反共の防波堤としての経済自立」へと大転換(逆コース)し、過度な企業分割は途中で緩和されることになります。