大学時代に雑誌『MEN'S NON-NO』の看板モデルとして一躍脚光を浴びた阿部寛だったが、俳優転身後は「背が高すぎる」「モデル出身で演技が固い」といった偏見に晒された。主演作のオファーは激減し、仕事に恵まれない不遇の時代が何年も続く。投資の失敗による多額の借金も抱え、世間からの冷ややかな視線に晒される苦痛の日々だった。
そんなドン底の状況下でも、長年連れ添う所属事務所の茂田オフィスとともに一歩ずつ足元を固め直した。華やかなスポットライトから外れても、父親は息子の生き方に口を出さず、ただ静かに見守り続けたという。父が仕事に対して見せていた「芽が出ない時期でも淡々と技術を磨く」という泥臭い姿勢こそが、途切れかけた阿部寛の心を繋ぎ止めた。
華やかさではなく、泥臭い努力を積み重ねること。エンジニアとして生き抜いた父の血脈は、どん底の時期にこそ静かに真価を発揮したのだ。