織田信長といえば気性が荒く「第六天魔王」なんてニックネームもありました。
しかし、実はあまり知られていない心温まるエピソードもあるのです。
ここでは「実は優しい織田信長」のエピソードを3つあげていきます。
実は気遣いができる男!
織田信長の一番の部下である羽柴(豊臣)秀吉。
その秀吉があまりに女遊びが好きで、あちらこちらで浮気三昧の日々でした。
当然秀吉の本妻であるねねさんは、どうしたら夫の浮気癖が治るのか日々頭を悩ませていました。
その話を聞いた織田信長は、なんとねねさんに下記のような気遣いの手紙を送ったのでした。
『そなたのような素晴らしい女性にそんな思いをさせて、あのハゲネズミ(秀吉)はとんでもない男だ』
『そなたは奥方らしく堂々とやきもちをやかずに、言いたい事はある程度にとどめておきなさい』
手紙の参考画像はこちらです。
部下の奥さんにまで気遣いができる優しい織田信長は、実際のところ気遣いがとってもうまい男だったのです。
実は許す男!
織田信長が尾張統一のために戦争を繰り返していた頃、家督争いのため弟、信勝と戦うことになります(稲生の戦い)。
この戦で織田信長に反旗を翻し、信勝へ味方したのが柴田勝家や林秀貞。
敗北した信勝は、織田信長に殺害されてしまいます。
しかし、信勝軍で自分を倒すために戦った柴田勝家や林秀貞を咎めることなく許し、さらに自分の重鎮として起用しました。
普通に考えたら、またいつ謀反を起こすかわからない武将を手元に置き、さらに重要なポストまで与える織田信長は、実は器の大きい許す男だったのです!
実は思いやりに溢れた男!
織田信長の父の時代から織田家に仕えた家臣に「平手政秀」という男がいました。
織田信長にとっては「じいや」のような存在で、政秀は「尾張の大うつけ」と呼ばれた織田信長に、なんとかして真面目になってもらえる手立てはないだろうか、と常々考えていました。
それでも大うつけのままの彼の将来を見据えて自害してしまいます。
諸説あるなかで「自分が死ぬことでいかに織田信長が大うつけか、本人にわからせるため」という説が有力です。
政秀の死をひどく嘆き悲しんだ織田信長は、「政秀寺」という寺を建立しました。
自分を愛して指導してくれた「じいや」の死を悼み、弔うための寺を建てた織田信長は、実は人のために心を痛める思いやりにあふれた男だったのです。
織田信長が建立した「政秀寺」です。
