奥野ビルの象徴として世界中のレトロ建築ファンを惹きつけてやまないのが、本館中央に鎮座する手動エレベーターです。日本オーチス(旧東洋オーチス)製とされるこの昇降機は、民間建築物として日本最初期に導入された極めて貴重な可動遺産。各階の扉は外側の金属製外扉と、内側の伸縮式蛇腹フェンスの二重構造になっており、利用者が自らの手で開閉を行わなければ動きません。上部に設置された時計の文字盤を模した真鍮製インジケーターの針が、階数を示すたびにカチリと音を立てて回る様子は、乗る者の時間感覚を瞬時に昭和初期へと引き戻します。
そして、もうひとつの心臓部と呼べるのが「銀座奥野ビル306号室プロジェクト」です。この部屋は、かつてここで美容室「サロン・ド・ラー」を営んでいた故・須田よし子氏が、100歳で天寿を全うするまで実際に暮らし、客を迎えていた特別な空間です。壁紙が経年変化で剥がれ落ち、長い歳月が刻まれた柱や調度品、パーマ機が置かれた一室は、リノベーションで美しく上書きされることなく、「時間が堆積したそのままの状態」で保存されています。有志のアーティストや建築関係者が集うプロジェクトの手によって維持され、定期的な一般公開や企画展を通じて、都市の記憶を未来へ手渡す実験的な試みが続けられています。
地価公示価格が1平方メートルあたり数千万円に達する銀座の一等地において、なぜこのビルは取り壊されず存続できたのか。最大の要因は、オーナー一族が短期的な不動産開発利益よりも「父祖の遺した空間と記憶の継承」を最優先に選んだ点にあります。さらに、賃料の急激な吊り上げを行わず、銀座の老舗画廊カルチャーに共鳴するアーティストや個人店主を迎え入れたことで、他には替えられない独自のコミュニティ資本が形成されたことが、巨大資本による地上げや買収の波を跳ね返す最大の防壁となったのです。