大隈の人生は常に死と隣り合わせだった。外務大臣時代、不平等条約の改正交渉を巡って反対派の暴漢から爆弾を投げつけられ、右脚を失う重傷を負う。失意の底に突き落とされてもおかしくない悲劇の中、彼は義足を受け入れ、車椅子で政治の表舞台に舞い戻った。
1898年には板垣退助とともに日本初の政党内閣(隈板内閣)を組織し、初の内閣総理大臣に就任する。義足の宰相として政務を執る姿は、当時の国民に強い衝撃を与えた。妥協を許さぬ姿勢と、時代の先を見通す先見性。困難に直面するたびに立ち上がる圧倒的な生命力が、彼を単なる名士ではなく「風雲児」たらしめた理由である。