渡来の波は、水稲耕作が伝来した弥生時代から一気に本格化した。しかし、真の意味で社会構造を根本から変革したのは、続く古墳時代における朝鮮半島からの大量移住である。とりわけ、百済や高句麗、新羅の政変を逃れてやってきた知識人や技術者層の役割は決定破的であった。
5世紀から6世紀にかけて誕生したヤマト王権は、彼ら外部の知性を極めて貪欲に吸収した。外交文書の作成、税の徴収システム、巨大前方後円墳の設計に至るまで、国家機構の骨格にはことごとく渡来系渡来人の知識が組み込まれていた。彼らなくして、古代日本国家の確立はあり得なかったと言っても過言ではない。