高校時代の彼を語る上で外せないのが、当時の高校生最速となる球速160キロという驚異的な数字だ。地方大会で叩き出したその一球は、日本球界の未来を揺るがす地殻変動の始まりだった。しかし、当時の大谷は決して完成された選手ではなかった。細身の体に、規格外のエンジン。そのアンバランスさに、周囲はハラハラしながら見守っていたのだ。
佐々木監督は大谷の体を守るため、あえて過度な投げ込みをさせなかった。目先の勝利よりも、10年後の未来を見据えていたからだ。この時期に無理をしなかったことが、のちにメジャーで二刀流として大開花する頑強な基礎を作ることになる。