事件直後にロシア軍に拘束された安重根は、日本の管轄下であった旅順へと身柄を移送されました。そこで関東都督府地方法院による裁判が行われます。
裁判は極めて異例の速さで進行しました。欧州の弁護士が安重根の弁護を申し出たものの日本当局はこれを却下し、官選弁護人のみで審理が進められました。法廷において安重根は自らの行為を「義挙」であると堂々と主張し続けましたが、1910年2月14日に死刑判決が下されます。
そして同年3月26日、旅順刑務所において安重根の絞首刑が執行されました。死刑執行の直前まで彼は取り乱すことなく、東洋平和への祈りを捧げながら従容として刑に服したと記録されています。
なお、刑執行後に埋葬された安重根の遺骨の正確な所在は、現在も判明していません。刑務所の裏山付近に埋められたとされていますが、日韓双方による度重なる発掘調査にもかかわらず発見には至っておらず、今なお未解決の歴史的課題として残されています。