問題の発言が全国中継された翌日の7月4日、松本氏は記者会見で釈明に追われました。しかし、そこで飛び出した「私は九州人であり、語気が荒かった。またB型特有の短気な面が出てしまった」という弁解が火に油を注ぐ結果となります。血液型を持ち出した責任転嫁は、被災者感情をさらに逆なでしました。
当時、菅直人内閣は東日本大震災と福島第一原発事故の対応を巡って支持率が低迷を極めており、野党からの退陣要求が強まっていた時期でした。被災地復興のシンボルとして起用された大臣の失態は政権にとって致命傷となり、菅首相も擁護を断念せざるを得ませんでした。
発言からわずか2日後の2011年7月5日朝、松本氏は首相官邸を訪れて辞表を提出。就任からわずか9日間での引責辞任は、当時の閣僚としては異例のスピード劇であり、民主党政権の迷走を象徴する出来事として歴史に刻まれました。