父親に認めてもらいたい一心で、野球を始めた山田裕貴さん。
しかし、父親と野球の話は一切していないというエピソードもあります。
山田裕貴さんはその理由を「自分も野球やっちゃうと父がライバルのような感覚になる」と説明しました。
そういう気持ち、男性なら分かるような気がするのではないでしょうか。
そして中学生で壁にぶつかり、プロを諦めた山田裕貴さん。
その時期にテレビドラマに励まされた経験から、俳優という職業に興味を持つようになりました。
「芝居で、たくさんの人の心を動かすことができたら、父親にも認めてもらえるんじゃないか」
そう思ったことが、俳優を目指すきっかけのひとつになったようです。
山田和利さんは、俳優・山田裕貴のファンでもあります。
必ず映画館に足を運び、TVなど作品はチェックしているそうです。
「『どうだった?』って聞くと、だいたい、『まだまだだな』って言われます」と語った山田裕貴さん。
父の批評が厳しいのは、相手を一人前と見ているからかもしれませんね。
しかし山田裕貴さん、今は言われるだけではなく、「演技したことあんの?」と返したこともあるそうです。
かつてはぎこちなかった父子の、現在の仲の良さが分かるやりとりではないでしょうか。
また、「人生最高レストラン」の取材を受けた妹さんが、兄に対する父の思いをこう語っています。
「褒める父ではないですが『裕貴はよくやっている』『俺にはできないことだからすごい』と前にポロッと言っていました。今も出ている映画やドラマは必ずチェックしているし、映画館に大きく張り出されているポスターを見て『大きく名前載ってるね』とうれしそうにしていました」
引用:https://www.sanspo.com/
不器用な父親像が、垣間見えますよね。
それを聞いた山田裕貴さんは、「本当に褒めない人だったので。『あの作品のあの芝居は、別にお前の芝居がいいわけじゃなくて、キャラがハマってるだけだから』とか。本当に褒めない人なので、なんかうれしいです」と喜んでいました。
山田裕貴は父を目指していた
少年時代の山田裕貴さんは、父の姿に憧れて野球を始めました。
小学生で名古屋市内のリトルリーグに所属し、野球に熱中。
このリトルリーグは強豪で、全国大会にも出場していました。
中学生になると、山田裕貴さんは『名古屋北シニア』という硬式野球のチームに所属します。
このチームも強豪で、それこそ毎年のように全国大会へ出場するようなところ。
ここで、山田裕貴さんは挫折をあじわうことになりました。
でも僕は補欠・準レギュラーぐらいの、出たり出なかったりみたいな感じで。最後の方はもう、「補欠でもいいや、みんなに迷惑かけないし」と思いながらやっていました。
強豪チームゆえに、才能や実力差を見せつけられてしまったのですね。
また、プロ野球選手の息子と言われるプレッシャーも重かったと言います。
父の背中を追いかけながらも、「何のために野球を始めたんだっけ?」と思い悩んだ、少年・山田裕貴さん。
結局、野球から離れることになりました。
プロ野球選手になる夢を諦めたきっかけのひとつは、「父を超えられない」という思いがあったこと。
それだけ、父親である山田和利さんの存在が大きかったのですね。
始球式で父の背番号30をつけていた
2018年に映画『あの頃、君を追いかけた』で主演を務めた、山田裕貴さん。
同年、ナゴヤドームで行われた、中日ドラゴンズ対東京ヤクルトスワローズ戦の始球式に登板しました。
その背中には、父・山田和利さんの背負った『30』の背番号。
俳優の道に進んだ後も、「始球式に登板したい」という山田裕貴さんの夢が叶った瞬間でした。
投球は、見事ノーバンのど真ん中ストレート。
投球後の取材に答えながら、山田裕貴さんは涙を見せていました。
いろいろな感情があふれ出したのでしょうね。
父から継いだ野球の実力
中学生で野球を辞めてしまった山田裕貴さんですが、間違いなく父親譲りの実力を持っています。
始球式に登板した時は、見事にノーバンのストレートをきっちり決めました。
しかも何時間か投げ込みを行う、というこだわりぶり。
また、インスタグラムでは自身が球速142kmを記録した際の映像がアップされています。
既に現役を離れて久しい、山田裕貴さん。
それなのに、これだけの球速が出せるのは、さすがとしか言いようがありません。
もし辞めずに続けていたら、名の知れた選手になっていたかもしれませんよね。
【名言】父からのアドバイス
野球を辞めた時、山田裕貴さんは父の和利さんにこう言われたそうです。
「俺は野球をやれとは言っていない。だけど、お前がやるって言ったことを何で最後まで続けなかったんだ」
その言葉にもやもやしたまま、山田裕貴さんは高校へ進学しました。
その後、忘れられない体験をします。
自分の友達が高校野球で甲子園に行って、スタンドに応援に行ったんです。その時、まだ試合も始まっていないのに、グラウンドを見ていたら涙が止まらなくなったんです。あのまま続けて頑張っていたら、スタンドじゃなくて、グラウンドに立っていたかもしれない。オヤジを超えていたかもしれない。なのに、途中であきらめてしまった。父という存在に自分から負けてしまって、あきらめてしまって、今、自分はスタンドにいる…。そんな思いが一気にあふれてきまして。一緒に応援に行っていた友達からしたら「なんで泣いてるの?」になったと思いますけど(笑)、その時に自分の中で何かがはじけたのは間違いありません。
引用:https://news.yahoo.co.jp/
父の言葉の意味が、そのとき初めて実感できたと言います。
そして、俳優になるため上京する日。
駅まで送ってくれた父は、息子に言いました。
「本当にやりたいことを見つけたなら、死ぬまでそれをやり続けろ」
「頑張れよ」
それは、普段はあまり会話もなかった父親からの、精一杯の餞の言葉だったのでしょう。
後に山田裕貴さんは、取材でこう語っています。
「自分がやるって決めたことをやめた時って、ものすごく後悔するんだなと思って。だから、次挑戦するって決めたことは絶対死ぬまで続けようって思ったのが、この俳優のお仕事」
父の言葉は、今も山田裕貴さんの人生の指針となっているようです。
