地方の一介の民間考古学愛好家だった藤村新一が、なぜこれほど大規模な不正を長年にわたり継続できたのか。その最大の謎である「神の手」の捏造理由は、本人の自供や心理分析によって徐々に輪郭を現しました。
発端は1970年代に遡ります。独学で発掘技術を身につけた藤村は、1981年に宮城県の座散乱木遺跡(ざざらぎいせき)で約4万年前とされる旧石器を発見し、一躍脚光を浴びました。当時、日本の旧石器時代はせいぜい約3万年前までと考えられており、この発見は学界の常識を覆す快挙と称賛されたのです。のちに藤村は自供の中で、「座散乱木遺跡のとき、発掘成果が出ない焦りから初めて石器を埋めてしまった」と告白しています。
一度味わった称賛と周囲の熱狂は、彼を後戻りのできない破滅の道へと引きずり込みました。発掘に参加するたびに「必ず石器を掘り当てる奇跡の男」として神格化され、民間研究団体である東北旧石器文化研究所の設立後は副理事長に就任。メディアや学界関係者、さらには地元自治体からの「日本最古の歴史を更新してほしい」という熱烈な期待を一身に背負うことになりました。
藤村は当時の特番インタビューや手記において、当時の心境を「掘り出さなければ皆を失望させてしまう」「期待に応えなければ自分の居場所がなくなるという強迫観念があった」と吐露しています。自ら作り上げた虚像を維持するために嘘を重ね、気づいたときには学界全体を巻き込む巨大な嘘の迷宮から抜け出せなくなっていたのです。