花というキャラクターに対して吹き荒れる批判の根底には、細田守監督自身が抱く「母親への強烈な憧憬と理想化」に対する時代の反発が存在します。監督は生前の母親への追悼と敬意を込めて本作を制作したことを各メディアのインタビューで公言していますが、その純粋な動機が、皮肉にも観客に対して「男性作家が思い描く都合の良すぎる聖母像」として映ってしまった側面は否定できません。
花は、夫を亡くした過酷なシングルマザーでありながら、決して弱音を吐かず、誰にも愚痴をこぼさず、自己の欲望やキャリアを完全に捨て去り、子どものためだけに人生のすべてを捧げます。この姿は、昭和から平成初期にかけて美徳とされてきた「無私無欲の母性神話」そのものです。
しかし、共働きが一般化し、親自身のメンタルヘルスや個人の尊厳との両立が叫ばれる現代において、自己犠牲を笑顔で完遂するヒロインは、観客に強い居心地の悪さを抱かせます。特にリアルタイムで孤軍奮闘する母親層からは、「母親はここまで自己を滅殺して笑っていなければならないのか」「失敗してもヘラヘラ笑っていれば許されるとでも思っているのか」という、無言のプレッシャーに対する反発と苛立ちが生じたのです。