この名作を世界の頂座へと押し上げたのが、1965年に公開された映画『赤ひげ』だ。メガホンをとった巨匠・黒澤明と、主演の新出去定(赤ひげ)を演じた名優・三船敏郎。東宝株式会社が威信をかけ、日本映画産業の黄金期を象徴する空前絶後のスケールで撮影は行われた。
撮影期間は実に2年におよんだ。細部への徹底したリアリズムを追求する黒澤は、小石川養生所の巨大なオープンセットに古材を敷き詰め、瓦一枚の風化具合にまで妥協を許さなかった。三船は「赤ひげ」のトレードマークである顎髭を保つため、撮影期間中は他作品への出演を一切絶ち、私生活でも髭を剃ることを禁じられたという。すさまじい緊迫感のなかで生まれた狂気にも似た情熱は、このコンビにとって最後の共同作業となった。まさに命を削り合って刻まれたフィルムの粒状性が、今も観る者の魂を揺さぶる。