沢田研二という稀代のスターが誕生した背景には、1960年代後半のグループ・サウンズ(GS)ブームがある。当時、芸能界の頂点に君臨していた渡辺プロダクションのバックアップのもと、ザ・タイガースのメインボーカルとして登場した彼は、甘いマスクと中性的な色気で瞬く間にティーンエイジャーを虜にした。
「シーサイド・バウンド」や「君だけに愛を」で見せた熱狂的なステージングは、日本のショウビジネスにファンカルチャーの原風景を刻み込んだ。しかし、ジュリーの真価はGSブームの終焉とともに訪れる。ソロアーティストへの転向は、アイドルから本格的な表現者へと脱皮するための必然的な闘いだった。