かつて全国の教室で暗記された「いい国作ろう鎌倉幕府」というフレーズが教育現場から姿を消しつつある最大の理由は、鎌倉幕府の実質的成立時期に対する歴史学界の評価基準が抜本的に見直されたことにあります。従来の教育では、源頼朝が朝廷から征夷大将軍就任を果たした1192年をもって幕府の開幕と位置づけていました。しかし、歴史学の研究が進むにつれ、「将軍という肩書きを得た年」よりも「武家政権としての実効支配体制を確立した年」を重視すべきだという見解が学界の共通認識となっていきました。
その決定打となった転換点が、1185年11月に朝廷から下された「文治の勅許(ぶんじのちょっきょ)」です。同年の壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした源頼朝は、対立した弟の源義経の追捕を名目に、後白河法皇に対して諸国への守護・地頭の設置と兵糧米の徴収権を認めさせました。これにより、頼朝は京都の朝廷の統制を離れ、日本全国規模で警察権・軍事権・一部の徴税権を掌握する法的権限を獲得したのです。
朝廷から名目上の最高軍事司令官の称号をもらった1192年に対し、1185年は国家を動かす実質的な権力基盤が完成した年です。実利的な統治能力を重んじる近年の歴史学において、「武家政権の成立」と呼ぶにふさわしいのは1185年であるという判断が下されたことが、教科書の記述が変更された根本的な理由です。