浅間山荘事件の主役となった過激派勢力と、国会に議席を持つ日本共産党は、しばしば世間から一括りにされがちだった。しかし実態は、激しい嫌悪と憎悪が渦巻く断絶状態にあった。当時の党運動を率いていた宮本顕治は、武装闘争路線を採る新左翼勢力を「トロツキスト的冒険主義」と強く非難。暴力的な街頭闘争や武装化は、市民の支持を失わせる愚行であると断じた。
対する連合赤軍の側も、議会制民主主義の枠内で改革を目指す勢力を「修正主義者」「裏切り者」と見なし、敵意を剥き出しにした。連合赤軍が抱いた過激な革命幻想と、党側の現実路線との対立は修復不可能であり、この根深い確執こそが、昭和の革新運動を内側から崩壊させる決定打となったのである。