穴守稲荷を語る上で避けて通れないのが、街のアイデンティティそのものである穴守稲荷神社と、かつて空港内に残されていた大鳥居(赤鳥居)を巡る激動の歴史です。
穴守稲荷神社は文化元年(1804年)、この地を襲った高潮被害を防ぐため、堤防の上に祀られたのが始まりとされています。「風浪の害を穴を穿って守る」ことから「穴守」と名付けられ、明治から昭和初期にかけては鉱泉が湧き出る温泉街、そして全国から参拝客が押し寄せる一大観光・信仰拠点として栄華を極めました。
しかし、1945年の終戦直後に運命が一変します。進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、羽田飛行場拡張のため周辺住民および神社に対しわずか48時間以内の強制退去命令が下されたのです。約3,000人もの住民が着の身着のままで住み慣れた土地を追われ、神社も現在の鎮座地(大田区羽田5丁目)への移転を余儀なくされました。
この強制立ち退きの際、撤去作業を行おうとした重機が事故を起こすなど不可解な出来事が相次ぎ、米軍も手を付けられずに空港敷地内にポツンと残されたのが、有名な「羽田空港の赤鳥居(大鳥居)」です。長年、滑走路の拡張計画の中でも撤去されず、1999年に現在の海老取川沿い(弁天橋の袂)へと安全に移設・保存されました。現在もその堂々たる姿は、羽田の歴史の語り部として多くの人々を見守っています。
現在の穴守稲荷神社は、羽田空港に隣接することから航空安全祈願の聖地として名高く、パイロットや客室乗務員、航空ファンが全国から訪れて御朱印や航空安全守りを拝受しています。また、境内奥の奥之宮でいただける「穴守の砂(招福砂)」は、まくだけで商売繁盛や病気平癒、家内安全のご利益があるとされ、古くから厚い信仰を集めています。