落語家としての個人的な成功にとどまらず、彼は業界全体の未来を担う重責も背負っていた。「公益社団法人落語芸術協会」の会長として長年にわたり舵を取り、寄席の存続や若手育成に東奔西走した。伝統芸能界が時代の変化に伴う荒波に揉まれる中、彼は古い慣習に囚われることなく、新しい風を柔軟に取り入れる姿勢を貫いた。
大衆演芸の質を落とさず、いかに若い世代や幅広い層に落語の魅力を伝えるか。その葛藤は並大抵のものではなかった。病魔と闘いながらも協会の会議に出席し、理事たちに喝を入れる姿は、組織のリーダーとしての威厳に満ち溢れていた。彼が命を削って守り抜いた寄席文化と人材育成の基盤は、現在の演芸界においても確固たる柱として機能しており、その功績は計り知れない。