Q1:一般の農民や町人は、関所さえ通ればどこへでも自由に旅行できたのですか?
A1:完全な自由旅行が認められていたわけではありません。建前上は「社寺参詣(伊勢参りや金毘羅参りなど)」や「湯治(病気療養)」、「親族の冠婚葬祭」といった正当な理由が必要でした。しかし江戸中期以降は信仰を名目にした物見遊山の観光旅行が事実上黙認されており、寺社や名主から通行手形さえ取得できれば、庶民でも全国を広く旅することができました。
Q2:旅の途中で路銀(旅費)が尽きたり、病気で行き倒れたりした場合はどうなったのですか?
A2:街道沿いの宿場や村には、幕府の法令により「行き倒れ人を救護・収容する義務」が課されていました。病人は最寄りの村や宿場の役人に引き渡され、手当を受けたり、身元引き受け人や親族へ連絡が行われたりしました。旅費が尽きた場合は、飛脚を使って実家から送金(為替)してもらうか、宿場や茶屋で下働きをして金を稼ぎ、帰路につくケースもありました。
Q3:街道の治安はどうだったのですか?盗賊や追い剥ぎに襲われる危険はありませんでしたか?
A3:五街道をはじめとする主要幹線道路は、幕府の道中奉行や各藩の厳しい見回りがあり、世界的に見ても極めて治安が良好でした。ただし、箱根峠や鈴鹿峠、大井川周辺などの人里離れた難所では、スリや置き引き、法外なチップを要求する悪質な人足(雲助・駕籠かき)とのトラブルが頻発していました。そのため、旅人同士が道中で意気投合して「道連れ」となり、集団で峠を越える自衛策が一般的でした。