なぜソクラテスは、この思考法に生涯を捧げたのでしょうか。発端は、古代ギリシャ随一の聖域で下された「デルポイの神託」でした。
アポロン神殿の巫女から「ソクラテス以上の賢者は一人もいない」と告げられたソクラテスは、激しい困惑に襲われます。自分には他人に誇れる知恵などないと感じていたからです。神の言葉の真意を確かめるため、彼は当時「知者」と謳われていた政治家、詩人、高名な職人たちを訪ね歩き、対話を重ねました。
そこで彼が目撃したのは、特定の専門知識や弁舌の巧みさを誇るあまり、「正義とは何か」「善とは何か」という人生の根幹については何も知らないのに、すべてを知っていると思い込んでいるエリートたちの姿でした。この体験からソクラテスは次の結論に達します。
「彼らも私も、善美の事柄については何も知らない。しかし彼らは知らないのに知っていると思っている。私は知らないことを、知らないと自覚している。そのわずかな一点においてのみ、私の方が彼らより賢い」
ソクラテスは相手に質問を重ねて矛盾を自覚させ、自ら真理へ到達させる「ソクラテス式問答法(産婆術)」を用いて対話を続けました。しかし、プライドを打ち砕かれた権力者たちの怒りを買い、最終的に国家への冒涜などの罪で死刑判決を受けることになります。不当な判決に屈せず毒杯を仰いだ彼の生き様は、常識を疑い抜くことの過酷さと尊さを雄弁に物語っています。